ゾウが吉田にやって来た
ゾウの江戸到着を告げるかわら版

「吉田の宿 かわら版」第1話

享保十三年(一七ニ八年)交趾国王(現在のベトナム)から時の将軍吉宗のところにゾウが献上されてきた。日本にゾウが来たのはこの時が最初ではない。記録によると室町時代の応永十五年(一四〇八年)が最初とされ、その後、天正三年(一五七五年)、慶長二年(一五九七年)にもやって来ている。
 しかし、この当時の日本は鎖国を行なっていたので外国の人や動物に触れることはないに等しく、ゾウなどは仏画などで見るしかない、空想上の動物と言っても良かった。
 この時贈られたゾウは牡牝ニ頭であったが、内牝は長崎にて病死、牡一頭が三月十三日に出発した。江戸まですべて陸路であった為ゾウの旅は二ヶ月以上に渡った。
 将軍への献上用であった為、道中にて事故などを起こしては大変と、移動は厳戒態勢のもとにすすめられ、ゾウが通過する各宿場では、前宿まで使者を出して情報の収集に努め、並々ならぬ気配りをした。
 ゾウは騒がしい事を嫌うという理由から、見物は家の中からとすると義務づけられたり鐘や太鼓といった鳴り物を禁止し、火事が起こってもこの時だけは鐘をつくことを禁止した所もあった。
 珍獣であるゾウに関心を寄せたのは、庶民だけではない、京都では時の中御門天皇と霊元法皇に拝謁し、広島藩や尾張藩では藩主自らゾウ見物に赴いた。
 さて、吉田宿には五月六日に宿泊、新居からの渡船を避ける為、本坂峠を越え江戸に向かっていった。本坂通りの三ヶ日町には今でも「象鳴き坂」と呼ばれる地名があると言う。これは、この時のゾウが長く急な坂を登った時に悲鳴をあげたことに由来するという。
 五月二五日に無事江戸に到着、二十七日には将軍吉宗がゾウを見物、その後浜御殿で飼育され、十四年後の寛保二年に病気によって死亡した。
 泰平の世をのっし、のっしと進んだゾウは各地にその記録を残し、「ゾウ騒動」がいかに当時の日本人に普段の憂さを忘れさせる出来事であったかをうかがい知ることができる。

 追記 この時のゾウの様子を記した「細谷村記録」という書物が豊橋にも残っていた様ですが、今回は見つける事が出来ませんでした。残念。

 
 
東三河地方に伝わる「吉田の宿」お話をかわら版にて公開中、そんな話が・・・読んでみると意外と面白い。
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